日本語訳 · 原著 Daniel Bourdeau『Unsolved Historical Ciphers』は CC BY 4.0 で公開されている。本ページは JIC による翻訳で、原著者の公式版ではない。訳文に相違がある場合は英語原文が優先する · 英語原文を見る ↗
<oηSSθ2roηcρ ωd8Sr/ · 9θcηd θSηd
convulsionem habuit · plena luna
< = c · o = o · η = n · S = u/v · θ = l · 2 = s · r = i

サフォーク · 私的な記録、宛先なし · D’Ewes 考案のアルファベット、ラテン語 · 1635–36年

Sir Simonds D’Ewes による息子の発作の暗号記録、1635–36年

British Library, Harley MS 286 f. 61(DECODE R7759、“unknown sender to unknown recipient, 1635”):小さな紙片で、好古家 D’Ewes の幼い息子 Clopton のひきつけの発作を1回につき1行ずつ、D’Ewes の私的なアルファベットで記したもの。紙片の解読も刊行された鍵も見つからなかった。アルファベットは紙片だけから、ありそうな語を手がかりに復元し、語の96.5%を解読した。

Daniel Bourdeau · 投稿 · 更新

方法:暗号文のみから鍵を復元 · 範囲:完全

要約。 DECODE は R7759 を、1635年の差出人不明・宛先不明の未解読の1ページの手紙として、暗号の種類不明で登録している。British Library 自身の目録はこの葉を「Sir Simonds D’Ewes が自らの暗号で書いた短い書付」と記述しているが、286 ではなく Harley MS 289 に分類している。どちらの請求記号が正しいかはここでは決着していない。これは手紙ではない。D’Ewes がラテン語で記した、1634年7月生まれの息子 Clopton のひきつけの発作の私的な記録で、“Aprilis iii. mane circa horam nonam convulsionem habuit. die Veneris” で始まり、1行に1回の発作を記して1636年1月まで続く。暗号は D’Ewes が学校時代に考案した単一換字のアルファベットで、その鍵は刊行されていない。鍵は紙片だけから、ありそうな語(convulsio、plena luna、difficilis)を繰り返し現れる暗号語に当てはめることで復元した。日付は暦と照合できる。記された曜日はすべてユリウス暦の日付と一致し、月相も大半が一致する。D’Ewes の Autobiography も同じ開始日1635年4月3日と、1636年3月4日までに計44回の発作という数を伝えている。子は1636年5月9日に亡くなった。287語のうち277語を解読した(96.5%、実測)。未解決なのは、台紙の下で切り詰められた最後の行、13行目の端の1語、24–25行目の薄い語句である。

01 紙片と書き手

Sir Simonds D’Ewes(1602–1650)は議会派の好古家で、その手稿は Harleian コレクションの大きな部分を占める。彼は私的な文書を独自のアルファベットで書いた。1622–24年の日記(Harley MS 481)は一部がそれで書かれており、1915年のミネソタ大学の学位論文がその日記を解読したが、鍵は掲載しなかった。f. 61 は大きな葉に貼られた小さな紙片で、普通の数字で 1635 という見出しがあり、1月の記載の横に平文で欄外の日付 1635/1636 が、8月の記載の末尾に暗号で累計 huc usque xxxii(「ここまでで32」)がある。罫線が夏の記載と9月および1月の記載を分けている。紙片の下端は台紙の下に入り込み、最後の行は切れている。

暗号の紙片、Harley MS 286 f. 61
Harley MS 286 f. 61:紙片全体、30行。罫線のところの欄外注は huc usque xxxii。最後の行は台紙の下で切り詰められている。画像:British Library, Harley MS 286 f. 61、DECODE R7759 経由(画像1)。

02 アルファベット

1文字に1記号で、語は区切られ、数字は文字記号で書かれる(x、v、i はそれぞれ ξ、S、r)。いくつかの記号は普通の文字を別の値に使っているので、一見すると本文は崩れたラテン文字のように見える。

記号文字記号文字記号文字
∂aωh6q
8brixr
<cʒI(語頭)2s
Xdθl/t
ceρmSu, v
φfηnξx
9p と gooyii(Maii の中)

k、y、z の記号は現れない。文字 p と g は同じ記号か、ここでは区別できないほど近い2つの形で書かれている。

03 解読

日付は D’Ewes が書いたとおりユリウス暦(旧暦)で、当時の年は3月25日に始まった。[?] は疑わしい語、{?} は解読できなかった語を示す。

紙片の最初の4行
見出しと最初の4つの記載:“Aprilis iii. mane circa horam nonam convulsionem habuit. die Veneris.” 画像:British Library, Harley MS 286 f. 61、DECODE R7759 経由(画像1)。
ラテン語日本語
Aprilis iii. mane circa horam nonam convulsionem habuit. die Veneris.[1635年]4月3日:朝9時ごろ、ひきつけを起こした。金曜日。
Aprilis xxiii. pom. bis convulsiones habuit. die Iovis. cum plena luna.4月23日、午後:2度ひきつけを起こした。木曜日。満月のとき。
Maii xiiii. ad finem iterum trium septimanarum ix[?]. convulsiones. luna tum[?] mutata.5月14日:3週間の終わりに再び、ひきつけ。そのとき月が変わった。
Maii xxiii. die Saturni fluxio aperta.5月23日、土曜日:下痢が起こった。
Maii xxv. inter horas xii et i convulsionem habuit. cum eo die plena luna.5月25日:12時から1時の間にひきつけを起こした。その日は満月だった。
Iunii xii. decrescente luna s[?]. primam convulsionem sensit.6月12日、欠けゆく月:最初のひきつけを感じた。
Iunii xiii. successit alia mitis[?] convulsio. et Iun. xiiii. alia6月13日:もう一度、軽いひきつけが続いた。そして6月14日にもう一度。
Iul. xvii. ante lunae plenilunium quae in diem xix. sequentem incidit duae convulsiones mites.7月17日、続く19日に当たった満月の前:軽いひきつけが2度。
Iul. xxiii. alia convulsio difficilis.7月23日:もう一度、重いひきつけ。
Augusti ii. luna tum[?] nova difficilis [struck word] convulsio.8月2日、そのとき新月:重いひきつけ。
Augusti iii. mitis convulsio mane circa horam primam; cum inter meos fuit amplexus alia terribilis convulsio, quam a prandio non leve magno tremore vexit[?]. pomeridiano iterum {?} alia difficilis convulsio.8月3日:朝1時ごろ軽いひきつけ。私の腕に抱かれているとき、もう一度ひどいひきつけがあり、食事の後、軽くはない大きな震えで彼を揺さぶった。午後に再び {?} もう一度重いひきつけ。
Aug. xxiiii. mane alia difficilis convulsio.8月24日、朝:もう一度、重いひきつけ。
Aug. xx. parum post lunae plenilunium (quae in diem xviii. istius mensis incidebat) tres difficillimas convulsiones, in quorum tertia os ipsius pene ad aurem dextram convulsum, quod ante numquam observavi. eadem nocte ante horam i. duae aliae convulsiones sed mitiores.8月20日、満月(今月18日に当たった)の少し後:非常に重いひきつけが3度。その3度目では口がほとんど右耳まで引きつれた。これは以前には一度も見たことがなかった。同じ夜、1時前にさらに2度のひきつけ、ただしもっと軽い。
Aug. xxi. post horam secundam mane et ante quintam duae aliae mites convulsiones. ante duodecimam horam alia difficilis. [margin:] huc usque xxxii.8月21日、朝2時過ぎから5時前まで:さらに軽いひきつけが2度。12時前にもう一度重いもの。[欄外:] ここまでで32。
Aug. xxxi. absolutus[?]8月31日:解放された[?](罫線の上、薄いインク)
Sept. xxi. die et ante horam primam noctis septima[?] agonia sed an {?} vel[?] alia praecedentia pede[?] convulsionem sed etiam epilepsia nativo[?].9月21日、日中と夜1時前に、7度目[?]の苦悶の発作。ただし {?} かあるいは先行するほかの……ひきつけか、それともてんかんか……(一部未読)
Sept. xxvii. post horam secundam mane et ante vii. tres aliae agoniae.9月27日、朝2時過ぎから7時前まで:さらに3度の苦悶の発作。
[margin 1635/1636] Ian. xxiiii. post xvii. septimanas liberationem nocte inter horam [nonam struck] viii et ix. convulsio difficilis. sperabam tamen quod evenerat ex coena nimia quam post convulsionem evomuit.[1636年]1月24日、17週間の解放の後、夜8時から9時の間:重いひきつけ。ただし私は、それが夕食の食べすぎによるものであってほしいと思った。彼はひきつけの後にそれを吐いた。
{?} … [hor]am nonam(最後の行、台紙の下で切り詰められている)

Autobiography がその結末を伝えている。1636年春には発作がいっそう頻繁になり、5月8–9日の一夜には12回に及び、子は1636年5月9日月曜日の午後2時ごろ、1歳9か月で亡くなった。D’Ewes は「高慢で、苛立ちやすく、性質の悪い女を乳母にしたこと」、子の首に開けられた排膿口と Bury の Dr Despotine の激しい治療、そしてその後のくる病のせいにした。

04 手法

  1. R7759 の画像は DECODE から取得した。2枚目の画像は裏面の透けを写しているだけである。BL の目録を検索すると D’Ewes の名が出た。
  2. D’Ewes のアルファベットの鍵は刊行物には見つからなかった。彼の日記についてのミネソタ大学の学位論文も、Notestein による1923年の議会日誌の校訂版も暗号に言及しているが、対照表は載せていない。
  3. ありそうな語:ほぼすべての行に繰り返し現れる長い語 <oηSSθ2ro は convulsio に合う。2語の句 9θcηd θSηd は plena luna に合う。Xrφφr<rθr2 は difficilis に合う。各行の冒頭の月名と数字が残りを補った。
  4. 暦との照合:1635年4月3日は金曜日(die Veneris)、4月23日は木曜日(die Iovis)、5月23日は土曜日(die Saturni)だった。月は紙片の記述どおり、4月23日、7月19日、8月18日に満月、8月2日に新月だった。5月25日(“plena luna”)と6月12日(“decrescente”)はそうではなかった。数字は高倍率で見て曖昧さがないので、これらは D’Ewes 自身の誤りか、大まかな言い方である。
  5. Autobiography(Halliwell 版、1845年)が、1635年4月3日という開始日と44回という発作の数を裏づけた。
  6. 行の切り抜きに対して2回の完全な転写を行った。1回目の後では語の92.7%、疑わしい語を3倍の大きさで切り抜き直した後では96.5%を解読した。

05 不確かなまま残る点

06 出典

転写、鍵、ノート:リポジトリ内の targets/harley286/。