このページの内容 笑ってしまった10件 歴史にとって重要な10件 ただただ巧妙な10件 選定の方法 出典
このページがある理由。 このサイトの作業の大半は地道なものだ:記号を一つずつ積み上げて再構成する鍵、訂正されるカタログのレコード、実は1877年から印刷されていたと判明する手紙。だが5世紀分の他人の秘密の郵便には、王室のスキャンダル、書記の大失敗、そしていくつかの巧妙な仕掛けも含まれている。ここにその30件を挙げる。各カードにはテキストの入手方法を記し、画像、鍵、解読の実測範囲を備えたレポート全文へのリンクを付けた。各引用は、スクロールして表示されると暗号文から平文へとアニメーションで変わる。
30 件の発見
1425–1933 5世紀
8 言語
6 件は暗号ではなかった、またはメッセージがなかった
30件すべて
笑える
歴史的
巧妙
⚄ おまかせ
01 笑ってしまった10件
酔っぱらった使節、王室のゴシップ、善意にあふれたカタログ係、そして自分のコードをうまく扱えなかった大臣が一人。
01
1533 ハンガリー → バイエルン公たち 隣接平文から鍵を復元
「朝、素面のときに話をすること」
DECODE はこの手紙を、宛名の葉にある名前から「Augurellio」の項に分類していた。2枚の葉の末尾には暗号で Iorg Weinmaister と署名されている:ハンガリーにいたバイエルンの工作員 Jörg Weinmeister である。鍵は、同じ巻の姉妹書簡とこの手紙に付された同時代の注記から再構成した。手紙の大部分は暗い知らせで、パロタ城の包囲や、5万のトルコ軍がベオグラードからブダへ進軍しているという報告が含まれる。そこへパロタ救援の協議が実務上の問題にぶつかる。大貴族トレク・バーリントはある晩ウィーンで、すっかり酔った状態で救援の相談に送り出されたので、翌朝あらためて話をしなければならない、というのである。
読み(訳文)
……ある晩ウィーンですっかり酔ったまま救援の話をしに送られてきたので、朝、素面のときに話をすること。
Weinmeister 1533、96.7%解読
Iorg Weinmaister · 暗号で署名 ·
02
1580 ローマ → パリの教皇大使 既存の解読
教皇、フランス国王、そして修道女
これは教皇庁国務省から教皇大使 Dandini に宛てた暗号の同封物で、数字の下に書記の解読が書き込まれている。George Lasry は2020年に、自ら再構成した鍵でその姉妹編の手紙を解読した。この同封物は同じノーメンクレーターを使っているが文字の値が異なり、その値をここでソルバー(焼きなまし法)で再構成し、書記のテキストと照合した。両者は一語一語一致するが、書記が concetto と書いたところを暗号は commercio としている。ローマが秘密にしておきたかったのは、アンリ3世とある修道女をめぐるゴシップだった。真偽はともかく、スキャンダルがあまりに大きかったので、国王は「あの修道院に通うのをきっぱりやめるべきだ」とされ、教皇大使はこれを国王に強く迫るよう命じられている。姉妹編の手紙は、修道女の件を王妃に持ち出してはならないと付け加えている。
イタリア語
La voce et l’opinione della pratica del Re Chr.mo con la monaca è uscita tanto publica che se ne ragiona hormai per tutto
いと篤きキリスト教徒の王と修道女との関係の噂はあまりに広まり、今やどこでも話題になっている。
コモから Dandini へ 1580
Francia 283C f. 52:数字と、その下の書記による解読。画像:Archivio Apostolico Vaticano, Francia 283C f. 52、DECODE R72 経由。
03
17世紀 Sloane MS 3188 暗号ではない
25通の「秘密の手紙」は、ジョン・ディーと天使との対話についてのメモだった
DECODE は Sloane MS 3188 ff. 109–169 を、解読なし、差出人・受取人不明の25点の暗号文として登録している。これらはディー自身による霊的「アクション」の日記のすぐ後に綴じられている。中身はそれらの日記についての後世の読者のメモで、17世紀英語の線画式速記で書かれ、人名だけが普通の筆記体で書き出されている。葉には「アクション」の索引、ディーの著作の一覧、1595年付のケリーとプラハについての覚え書きが含まれる。暗号も、手紙も、通信相手もそこにはない。
速記の中の普通の筆記体
1582 … E.T. … Uriel … Reuchlin · Reconciliatio Kelliana
Shippen によるディーについてのメモ
f. 109r:速記の線と、普通の筆記体で書き出された人名。画像:British Library, Sloane MS 3188 f. 109r、DECODE R8506 経由。
04
1702–23 Blenheim Papers, Add MS 61575 暗号ではない
数字が一つもない「数字暗号」で、暗号の手ほどきへの礼を述べている
DECODE は folio 95 を、「Frederic, Re di Prussia」による解読なしの数字暗号として登録している。ページに数字は一つもない。耳で聞いたとおりに綴られ、音節ごとに切り刻まれた平文のフランス語が7行あるだけで、書き手は暗号での書き方を教えてもらった礼を述べている。綴りから判断するかぎり、授業のほうが書き取りよりうまくいったようだ。
フランス語(綴りのまま)
moy en me mon trant d’es cria re
……暗号での書き方を教えてくださるのにお骨折りいただいたことに対して
暗号の授業
en me mon trant d’es cria re · 数字は一つもない ·
05
1659–60 Hyde ↔ Barwick 説明がついた
わざと何の意味も持たせなかった暗号の宛名
Edward Hyde と John Barwick の間で交わされた王党派の手紙のいくつかには、番号付きの上書きがあり、1721年に印刷された Hyde–Barwick の完全な鍵を含め、どの鍵でも読めない。その説明は3世紀前から印刷物の中にあった。文書を手元に持っていた Barwick の伝記 の編者が、番号はおとりだったと述べているのである。
1724年版
superscribed with Numbers signifying nothing … only to puzzle the Enemy, if they should fall into their Hands
Hyde
Vita Johannis Barwick (1721)、p. 396。画像:P. Barwick, Vita Johannis Barwick (London, 1721), p. 396、Internet Archive 経由。
06
1758 「Cypher from Mr Eichel」、プロイセン 冗字(ヌル)のみ
詰め物しか入っていない暗号数字の1枚
この数字の紙はキューのプロイセン関係文書の中にある。カタログが提案した鍵は合わない。同じ巻に綴じられた鍵は合い、その鍵は冒頭で、7を含むすべての数と4つの範囲全体を冗字(ヌル)と宣言している。この規則に従うと139符号群のうち117が冗字(ヌル)で、残る22のうち21は鍵が空欄にしているセルに当たる。これはダミーの紙であり、そこにメッセージがあったことは一度もない。
鍵の最初の規則
Tous les nro où je trouve un ou plusieurs 7 sont les nonvaleurs
7が1つ以上含まれる数はすべて冗字(ヌル)である。
Eichel 1758
Eichel の紙:139符号群、うち117が冗字(ヌル)と宣言されている。画像:The National Archives, Kew、DECODE R595 経由。
07
1524 ローマ → カール5世 隣接平文から鍵を復元 · 部分
リスト上最古の長い暗号、ちょうど100年ずれていた
DECODE はローマからの手紙2通を「1424年4月」と年代づけていた。それなら1450年以前で最長の暗号文になるはずで、そのために看板となる対象として選ばれた。手紙は f. 128v に自らの日付を記している:De Roma xviij de Abril 1524 。カタログの「Luis Fernández」はカール5世の大使セッサ公である。姉妹書簡8通には宮廷自身による解読が付いている。それらから鍵(約110の符号群とアルファベット)を再構成すると、4つの符号群と1つの節を除いて、この箇所を一語一語解読できる。
スペイン語
De Roma xviij de Abril 1524
ローマより、1524年4月18日。1424年ではない。
Sessa 1524
1424 ↓ 1524
08
1652–53 パリ → オランダ 短すぎ、鍵なし
詩人エイブラハム・カウリーが「Mr. Conley」という通信者になったいきさつ
これらの王党派の手紙の受領記録には mr Cowleys Hand とある。DECODE はそれを「Conleys」と読み、その名を書き手にしてしまった。手紙は平文の英語である。唯一の暗号は5つの短い連なりに分かれた23の符号番号で、鍵を復元するには少なすぎ、DECODE にも印刷物にも鍵は見つからなかった。下の一節はコードをそのまま残している。
英語(コード付き)
the person that came lately from 248:88:46:47:96:52:7:57
カウリーの筆跡 1652–53
Harley MS 7003 f. 314r。画像:British Library, Harley MS 7003 f. 314r、DECODE R7768 経由。
09
1812 サンクトペテルブルク → ワシントン 隣接平文から鍵を復元
ジョン・クインシー・アダムズ、自分のコードでしくじる:「impaired」のつもりが「impassioned」
1812年6月の急報 No. 88 は、ロシアの宰相ルミャンツェフが脳卒中に倒れたことを報じている。Worthington Ford は1914年にその9行を「not decyphered」として印刷した。アダムズが使ったのは、歴史家たちが想定したコードではなく、自分自身のコードだった。その鍵を、同じマイクロフィルムのリールにある国務省書記の行間の解読と、Ford が印刷した他の急報の解読からここで再構成したところ、9行すべてが解読できた。値が確実な4つの符号群が、意味の上では「impaired」が来るべきところで im-pas-sion-ed と綴っている。おそらくアダムズ自身がコード簿で犯した書き損じである。
英語(音節ごと)
if his ac-tive in-flu-ence had not been im-pas-ion-ed before it, it can scarcely fa-il to have been af-fect-ed
Erving & Adams
No. 88、1812年6月25日、数字で書かれたもの。画像:National Archives and Records Administration, RG 59, M35 reel 3, frame 0206。
10
1848 ローマ → インスブルック 暗号文のみからの解読
教皇の秘密の撤回命令:傍受され、懸賞付きで公表され、しかもどのみち1日遅かった
1848年6月15日、Soglia 枢機卿は、皇帝が逃れていたインスブルックの教皇大使に955個の数字を送った。マッツィーニの L’Italia del Popolo はこの急報を傍受して印刷し、「これらの数字を最もよく解釈した者には相応の賞」を出すと申し出た。名乗り出た者はいなかった。2014年にこれは未解決問題として Cipherbrain に掲載され、印刷物の中に解読は見つからなかった。鍵はここで暗号文だけから復元した。そのコード部分はアルファベット順である:Imperatore 8319 は istruzione 8340 の前に来て、それは Monsignor 8374 の前に来る。命令は教皇大使に、皇帝がどこへ行こうとも付き従うよう指示している。Dizionario Biografico によれば、大使は送信の前日、6月14日にすでにインスブルックを離れていた。
読み(訳文)
……教皇聖下の[ご意向は]、貴下が皇帝とともにインスブルックにとどまり、皇帝の赴くところどこへでも随行することである
Soglia 1848
印刷された955個の数字のブロック。画像:Tony Gaffney、Klaus Schmeh, Cipherbrain 経由。
02 歴史にとって重要な10件
包囲、暗殺、買われた王冠、そして国王の方針転換。うち3件では、暗号の横にある平文からここで鍵を再構成した。残る7件はすでに存在した鍵で解読したもので、そのいくつかは平文で印刷されたことのない箇所である。
01
1425 ウルビーノ → フィレンツェ 既知の鍵を適用
1425年:このサイトで解読した最古の暗号
1425年初め、Galeotto da Ricasoli はウルビーノからフィレンツェの戦時委員会に手紙を書いた。Gabbrielli は1863年にいくつかの語に注記を付けて鍵を作り、Meister がそれを1902年に印刷したが、手紙そのものは印刷されたことがなく、3つの長い暗号の連なりの解読も見つからなかった。この手紙と姉妹書簡3通への彼の注記から拡張した Gabbrielli の鍵で、99の暗号記号のうち97が解読できる。Madonna とはウルビーノ伯夫人で教皇マルティヌス5世の姪、カテリーナ・コロンナのことである。
イタリア語
perché dice che Madonna è pure femina e sospetosa
というのも、彼が言うには、マドンナは所詮女であり、疑い深いからだ
Ricasoli 1425
Ricasoli から Dieci へ、1425年。画像:Archivio di Stato di Firenze、DECODE R3754 経由。
02
1482 ポジョニ → フェラーラ 隣接平文から鍵を復元 · 部分
ヴェネツィア、ハンガリー王を買収しようとする
1482年7月、フェラーラ戦争の最初の数週間に、マーチャーシュ1世の宮廷にいたエステ家の使節は、ヴェネツィアが王に何を差し出しているかを暗号で報告した:ヴェーリア島、王の庶子への海上の指揮権、そして年10万ドゥカート。アルファベットは平文の写しとともに残る姉妹書簡から再構成した。この手紙には平文の写しがなく、印刷されたこともなかった。
イタリア語
et voleva dargli Vegla, et voleva lo figlio (e bastardo) per loco capitaneo … per mare
そして彼にヴェーリアを与えようとし、彼の息子(庶子である)を自分たちの……海上の指揮官にしようとした
Sadoleto 1482
Sadoleto からエルコレ・デステへ。画像:Archivio di Stato di Modena、DECODE R1102 経由。
03
1565 メッシーナ → フェリペ2世 隣接平文から鍵を復元
マルタ救援、大包囲戦のさなかに数字で報告される
シチリア副王 García de Toledo は1565年7月16日、微妙な語をすべて2桁の数字にしてフェリペ2世に手紙を書いた。同時代の解読は知られておらず(Tomokiyo の「undeciphered」)、ほかの誰かが鍵を復元したかどうかも分からない。易しい鍵である:数字を取り巻く平文のスペイン語にあった2つのクリブから11文字が得られ、数字12–43はアルファベット順に並んでいる。作業の大半は1,930符号群の転写だった。手紙は、小規模な救援部隊がどのようにボルゴに入ったか、そしてラ・ヴァレットの烽火がガレー船の2度目の突入をどう引き返させたかを伝えている。また、シチリアにはもう戦費を払う余力がないことも報告している。
スペイン語
el maestre les hizo las sennales del fuego clarissimas para que no entrassen
騎士団総長は彼らに、入ってこないよう、きわめて明瞭な烽火の合図を送った
Toledo 1565
Estado leg. 1394 no. 247, f. 1r。画像:Archivo General de Simancas, Estado leg. 1394 no. 247 f. 1r、PARES 経由。
04
1573 ワルシャワ → パリ 隣接平文から鍵を復元
フランスはいかにしてポーランドの王冠を買ったか
これは、アンジュー公アンリをポーランド王にした選挙の際に、フランスの使節たちがシャルル9世に送った手紙である。成果は訂正された鍵である:Tomokiyo が公表した表はずれていることが判明し、宮廷の解読官がこれらの手紙に書き込んだ余白の注記(製本師によって半分切り取られている。その一つが car je n’ay pas cinquante escuz )から鍵を再構成した。訂正した鍵で選挙に関する手紙3通を解読した。そこでは、ポーランド人は「隣人であるドイツ人と同じく」金で味方につけられるとされる。5月9日、選挙は皇帝、スペイン、モスクワ大公国、スウェーデンを抑えて勝ち取られる。
フランス語
d’Espaigne, du Moscovite et du Roy de Suède, qui tous estoient bandez contre vostre Majesté
スペイン、モスクワ人、そしてスウェーデン王の。彼らはみな陛下に対して結託していた
Lanssac 1573
BnF fr. 4735 f. 124。画像:Bibliothèque nationale de France, fr. 4735 f. 124、Gallica btv1b9060724s キャンバス242 経由。
05
1588–89 ブロワ → ローマ 既知の鍵を適用
教皇特使、ギーズ公暗殺を報告する
フランス駐在の教皇特使 Morosini 枢機卿はローマに36の暗号の同封物を送ったが、すべて切れ目のない一続きの数字の流れとして書かれていた。George Lasry は鍵の一部を統計的に復元し、それが Meister が1906年に印刷した鍵であることを突き止めた。その同音字は1桁から3桁で区切りがないため、鍵を機械的に適用することはできない:数字の流れを単位に分割しなければならず、分割の仕方は何通りもありうる。イタリア語の言語モデルで候補を採点して分割を選び、36点中34点を完全に解読した。内容はブロワの三部会、サルッツォ、アンリ3世のパリ進軍に及び、国王自身の部屋でのギーズ兄弟の殺害を報じている。
イタリア語
il Duca di Guisa nela camera di S. M.tà è stato per ordine di S. M.tà amazato a colpi di pugnale
ギーズ公は陛下の部屋で、陛下の命により、短剣で刺し殺された
Morosini 1588
Francia 22 f. 308r:一続きの数字の流れ。画像:Archivio Apostolico Vaticano, Francia 22 f. 308r、DECODE R43 経由。
06
1590 マントヴァ → ヌヴェール公 既知の鍵を適用
「教皇の死はスペイン人によって毒で仕組まれた」
マントヴァ公ヴィンチェンツォ・ゴンザーガは、シクストゥス5世の死から3週間後の1590年9月17日、ヌヴェール公に手紙を書いた。Tomokiyo が暗号を特定しており、ヌヴェール公自身の文書の中に綴じられていたその鍵の表で、暗号の95%がそのまま解読できる。それ以前の解読は見つからなかった。マントヴァはスペイン人が教皇を毒殺したという噂を伝え、予想されるアンリ4世の改宗を歓迎している。
イタリア語
che la morte del Papa sia stata procurata con veleno da Spagnoli
教皇の死はスペイン人によって毒で仕組まれたと
マントヴァからヌヴェール公へ 1590
BnF fr. 3979 f. 92r。画像:Bibliothèque nationale de France, fr. 3979 f. 92r、DECODE R4176 経由。
07
1570 タットベリー → ロンドン塔 既知の鍵を適用
スコットランド女王メアリー、ロンドン塔のノーフォーク公に書く
メアリーは摂政 Moray 暗殺の数週間後にこの手紙を書いた。この系列の中で同時代の解読がない唯一の手紙である。Tomokiyo は系列の解読済み書簡から鍵を再構成し、この手紙の部分的な解読を公表していた。ここでは彼の鍵を手紙全体、23行すべてに適用した。作業は転写だった。メアリーは、エリザベス1世が Moray の死を自分のせいにしていると報告している。ノーフォーク公は、ロス司教か Lady Scrope を通じてのみ書き、決して自筆で書いてはならないとされる。
英語(彼女の綴りのまま)
I am asured that sche … sueves me the veyt of Murray death; but God knoueth
彼女が Moray の死の責め[スコットランド語 wyte ]を私に負わせていることは確かです。しかし神はご存じです
メアリーからノーフォーク公へ
Cotton MS Caligula C II f. 74r。画像:British Library, Cotton MS Caligula C II f. 74r、BL IIIF サービス経由。
08
1602–09 パリ → カッセル 既知の鍵を適用
アンリ4世がドイツの君主に送った秘密の手紙:印刷され、鍵もあり、しかし一度も組み合わされなかった
Rommel は1840年に、アンリ4世がヘッセン=カッセル方伯モーリッツに送った手紙の暗号箇所を数字のまま印刷した。6年後、彼は鍵を、1通だけの平文とともに印刷した。印刷された鍵の位置のずれた項目を訂正したうえで1840年の数字に適用すると、7つの箇所すべて、約4,100符号群が解読できる。内容はブイヨン公とドイツ諸侯、火薬陰謀事件、オランダ人への200万リーヴル、そして1606年の、スペイン人のローマ王に抵抗せよという呼びかけに及ぶ。この解読は Arya Sanketbhai Patel が寄せたものである。
フランス語
pour la conservation de la liberté germanique
ドイツの自由を守るために
ヘッセン
Rommel 1840, p. 310:数字で印刷され、解読はない。画像:Rommel (ed.), Correspondance inédite de Henri IV avec Maurice-le-Savant (1840), p. 310、Internet Archive 経由。
09
1691 ヴェルサイユ → ピエモンテ 既知の鍵を適用
ルイ14世、ピエモンテ放棄を決断する。平文で印刷されたことのない急報の中で
カティナの回想録の1819年の編者は、急報7通を数字のまま印刷し、解読できなかった。バズリーは1893年、鉄仮面の正体を追う中でコードを再構成し、2通を平文で、さらに2通の一部を印刷して、そこでやめた。彼の表をここでそのまま適用すると、7通すべて、12,362符号群が解読でき、うち3通は平文で印刷されたことがなかった。その中には9月14日付の20ページにわたる国王の手紙がある:軍をアルプスの向こうへ引き揚げさせよ、教皇との交渉を援護するためカルマニョーラをできるだけ長く保持せよ、そのうえで略奪し尽くして焼き払え。
フランス語
je me suis déterminé à préférer le parti solide à l’honorable
私は名誉ある道よりも確実な道を選ぶことに決めた
Catinat 1691
Mémoires de Catinat (1819)、p. 320。画像:Mémoires de Catinat, t. II (1819), p. 320、Bayerische Staatsbibliothek、MDZ 経由。
10
1758–60 リスボン → ローマ 既知の鍵を適用
ポルトガル国王暗殺未遂についての教皇大使の秘密の報告
1758年9月3日の夜、ポルトガル国王ジョゼ1世は馬車の中で銃撃された。リスボンの教皇大使 Acciaiuoli が送った8つの暗号のうち最初のものが、その秘密の報告である。これらは George Lasry の2020年の鍵で解読した。その鍵はすでに DECODE の各レコードに載っていた。当時解読された3葉から25の符号群を追加した。
イタリア語
il Teixeira ferito a morte … il Re molto ferito del braccio destro
Teixeira は致命傷を負い……国王は右腕にひどい傷を負った
Acciaiuoli 1758
Portogallo 117/6 f. 106r。画像:Archivio Apostolico Vaticano, Portogallo 117/6 f. 106r、DECODE R199 経由。
03 ただただ巧妙な10件
あぶり出しインク、おとりの語、修道士の母音ずらし、そして誤って分類されたレコードを一つの物語に変える探偵仕事。
01
1792 ベルリン → ハーグ 既知の鍵を適用
本物の手紙はレモン汁で書いてある、と伝えることだけが役目の暗号
オランダの使節 van Reede は1792年2月4日にベルリンから手紙を書いた。それ以前の彼のオラニエ公宛の手紙の鍵である1782年の Grand Chiffre で全文を解読すると、この手紙は送り状である。同封物の4つの白紙の半ページにはレモン汁で文字が書かれているとオラニエ公に伝えよ、そして「以下の数字は冗字(ヌル)である」。その21の冗字(ヌル)を復号すると、Conseil d’Etat 、la Russie 、Archiduc をわざと寄せ集めたものになる。手紙を開けた者へのおとりである。
フランス語
il y a du citron sur les quatre demi-pages blanches de l’incluse
同封物の4つの白紙の半ページにはレモン汁が塗ってある
Van Reede 1792
KHA, Prins Willem V inv. 205。画像:Koninklijk Huisarchief, The Hague, Prins Willem V inv. 205、DECODE R1057 経由(ここで回転)。
02
1933 上海 メッセージなし
金の延べ棒で3億ドル、そしてどの文字もほぼちょうど10回ずつ
1933年に上海で3億ドルを超える預託を証明するために発行されたとされる7本の金の延べ棒には、ラテン文字の列が16本刻まれている。90年間、誰もそこにメッセージを見つけられなかった。問題は文字の出現数である:一様分布に対するカイ二乗値は1.25で、正直な無作為抽出なら約25になるはずだ。こんな値を生み出せる暗号はない。換字も転置も平文の偏りを保存し、ワンタイムパッドなら25前後になる。誰かが文字を数えて割り振り、暗号らしく見えるように並べたのである。
検定
自由度25で χ² = 1.25。偶然なら25になるはず
金の延べ棒
延べ棒の1本。画像:Kevin McCurley, “Cryptograms on Gold bars from China”, IACR (1996), iacr.org/misc/china。
03
1635–36 サフォーク、私的な記録 暗号文のみからの解読
幼い息子の発作を記録した父親の秘密の日誌
DECODE はこれを1635年の手紙、「不明の差出人から不明の受取人へ」として登録している。実際は好古家サー・シモンズ・デューズが、学生時代に自ら考案した私的なアルファベットでラテン語を書いたものである。このページは、1635年4月3日以降の幼い息子 Clopton のひきつけを1回1行で記録した日誌で、曜日、時刻、月相が添えられている。この紙片の平文は存在せず、解読も見つからなかった。アルファベットは convulsio や plena luna のような確からしい語を手がかりに暗号文だけから復元し、語の96.5%を解読した。曜日と月相はすべて暦と一致する。Clopton は1636年5月9日に亡くなった。
ラテン語
in quorum tertia os ipsius pene ad aurem dextram convulsum, quod ante numquam observavi
その3度目には、彼の口がほとんど右耳のところまで引きつった。そんなことはそれまで見たことがなかった
デューズの暗号日誌 1635
Harley MS 286 f. 61。画像:British Library, Harley MS 286 f. 61、DECODE R7759 経由。
04
1548 アウクスブルク → コンスタンティノープル 既知の鍵を適用 · 部分
おとりの語:ラテン語に見える冗字(ヌル)
フェルディナント1世はオスマン宮廷駐在の弁理公使 Malvezzi に、図形記号の暗号で手紙を書き、そこにラテン語の一部に見える完全な語を詰め物として混ぜた:etiam 、idcirco 、atque 、Porro 。鍵はすでに DECODE にあり、同じ請求記号の別レコードとして登録されていた。ここで適用すると、暗号箇所の一部が解読できる。手紙からは、フランスがハプスブルク家とオスマン帝国の和平を壊そうとしていたこと、そして Malvezzi の報酬(即金で4,300ドゥカート)が分かる。
おとりの語
etiam · idcirco · atque · cum · Porro
フェルディナント1世から Malvezzi へ 1548
p. 4:暗号が平文のラテン語に戻るところ。画像:Hadtörténelmi Levéltár, Budapest, 1548/3, p. 4、DECODE R366 経由。
05
1517 ストレングネース 既知の鍵を適用 · 部分
修道士、聖歌集に暗号で署名する
1517年にこのドミニコ会のセクエンツィア集を写した写字生は、奥付に日付を記し、そこではすべての母音がその次の文字で書かれている:a は b に、e は f に、i は k に、o は p に、u は x になる。ウプサラの目録は1992年にこの規則と解読を印刷した。ここで新たに転写したものにこの規則を適用すると、同じテキストが得られる。下の引用は写字生が書いたとおりの形から始まる。
ラテン語、母音ずらし
presens liber sequencionarius est scriptus in conuentu strengenensi
このセクエンツィア集はストレングネースの修道院で書かれた
ストレングネースのセクエンツィア集 1517
C 513 f. 19v:4段の譜線の下にある奥付。画像:Uppsala University Library, C 513 f. 19v、Alvin 経由(パブリックドメイン)。
06
1616 シュトラスブルク、印刷本 既に印刷済み
「暗号書簡」は小説で、登場人物の一人が暗号を読み上げる
解読なしの手紙として登録されている DECODE R4502 は、Chymische Hochzeit Christiani Rosencreutz (シュトラスブルク、1616年)の一冊である。4つの「暗号ページ」は物語中の碑文で、創作されたアルファベットで刻まれている。1段落後で小姓が長い2つを読み上げる。2行の記号は1378と1459という年で、1690年の Foxcroft による英語版がすでにそれを示している。
ドイツ語
HIE LIGT BEGRABEN VENUS DIE SCHONE FRAW SO MANCHEN HOHEN MANN UMB GLUCK EHR SEGEN UND WOLFART GEBRACHT HATT
ここに美しき婦人ヴィーナス眠る。彼女は多くの高貴な男から、幸運、名誉、祝福、繁栄を奪った
Chymische Hochzeit の碑文
Chymische Hochzeit (1616)、p. 97。画像:Embassy of the Free Mind (Ritman Library), Amsterdam, Chymische Hochzeit (Strassburg 1616), p. 97、DECODE R4502 経由。
07
1664–68 ハプスブルクの牢獄 → 身内へ 暗号ではない
誰にも読めなかったので国家の暗号の中に綴じられた、囚人の嘆願
この手紙は、ハンガリー大貴族の陰謀に関するウィーンの文書の中に、Chiffres 1664–1668 という見出しのファイルに綴じ込まれていた。DECODE はこれを図形記号による単一換字として登録している。記号はキリル文字で、言語はセルビア語である。書いたのは獄中の Stojan で、自分のヴラフ人たちに名指しで挨拶し、金を持ってきてくれるよう頼み、妻によろしくと伝えている。綴じ込んだ書記たちは、どうやらこれを読めなかったらしい。
セルビア語から
兄弟たちよ、私を憐れんでくれ。お前たちは私をドイツ人の牢獄から出すことができ、お前たちの魂を地獄から出すことができるのだ
獄中の Stojan の手紙
HHStA, Verschwörerakten Fasc. 327, f. 30r。画像:Österreichisches Staatsarchiv, HHStA, Verschwörerakten Fasc. 327 Konv. D f. 30r、DECODE R688(画像1)経由。
08
1489–90 ブダ → ミラノ 既知の鍵を適用 · 部分
数字だけで公表された鍵を、記号に戻す
2016年、Judit W. Somogyi はミラノ大使の鍵を再構成したが、それを数字だけで印刷し、記号の図は一つも載せなかった。彼女の数字は、平文の写しとともに残る1490年4月2日付の手紙での初出順に並んでいる。その手紙を写しと突き合わせればすべての記号の形が戻り、鍵を適用できるようになる。こうして1489年11月22日付の急報の一部が解読できる。内容はフリードリヒ3世との和平、ヤーノシュ・コルヴィンの結婚、ベアトリーチェ王妃の「ユーノーの飽くなき怒り」である。急報はまた、傍受された暗号書簡の複写が露見したことを警告している。
イタリア語
Le littere in cifra che forono intercepte, le quale duplicate sono state scoperte ancora qua
傍受された暗号書簡、その複写がここでも露見した
ブダ 1489
Sforzesco 650、1489年11月22日。画像:Archivio di Stato di Milano, Sforzesco 650, 1489年11月22日付書簡、Vestigia 経由。
09
1586 アングーモワ → 同盟派の指導者 既存の解読
「未読」の部分は1586年に解読されていた
1586年10月のこの匿名の同盟派の手紙は、3分の2に解読がないとされていた。次の葉 f. 168 には、十字の印のところまで暗号の平文が書かれている。十字の後、解読者は暗号の行間に平文を書く方式に切り替えていた。その注記は Tomokiyo の鍵(87 = e)を裏づける。手紙によれば、ギュイエンヌ副提督 Fumé が、ナヴァール王と宛先の同盟派指導者との和解を繰り返し提案しているという。
フランス語
Fumé, visadmiral de Guienne, tres confident du Roy de Navarre, bien qu’il soit catholique
ギュイエンヌ副提督 Fumé は、カトリックでありながらナヴァール王の厚い信任を得ている
Clairambault 357、1586
Clairambault 357 f. 167r、行間の注記付き。画像:Bibliothèque nationale de France, Clairambault 357 f. 167r、Gallica 経由。
10
1801 ベルリン → ハーグ 既存の解読
盗まれた暗号についての暗号急報、その平文写しは誤って綴じられていた
ベルリン駐在のバタヴィア共和国の代理公使は1801年1月31日に暗号で書いており、DECODE はこの急報に解読がないとしている。省による同時代の平文写しは次のレコードの3枚目の画像にあり、ここで転写した。主題は暗号の流出である。Rosenkrantz は自分の暗号を写し取った召使いを責め、使節 Lusi は「はるかに断定的に」、自分の暗号をしまっていた机がこじ開けられたと述べている。
オランダ語
dat het bureau, waar in zyn Cyffer was, is geforceerd geworden
彼の暗号がしまわれていた机がこじ開けられたと
Bourdeaux 1801
次のレコードに誤って綴じられていた平文写し。画像:Nationaal Archief, The Hague, 2.01.08 inv. 257 fol. 295、DECODE R1946(画像3)経由。
04 選定の方法
この30件は、このサイトにある約200本のレポートとその背後のノートから選んだ。選定の基準は物語性で、難しさは考慮していない。全リスト は結果ごとに並べてあり、最も難しかった解読はリポジトリの解読ランキング で順位づけされている。各バッジは、サイトの用語集の用語でテキストの入手方法を示す。暗号文のみからの解読 (30件中2件:Soglia 1848 と D’Ewes 1635)と隣接平文から鍵を復元 (6件)は、鍵をここで再構成したことを意味する。既知の鍵を適用 (11件)と既存の解読 (3件)は、鍵か解読がすでに存在し、作業は転写と解読だったことを意味する。部分 は、テキストの一部がまだ未決であることを意味する。引用は原文の綴りを保ち、訳はレポートに従う。30件のうち6件はそもそも暗号ではないか、メッセージを含んでいない。1件はずっと前に印刷物で解読されており、1件は鍵なしで解読するには短すぎる。
各画像のクレジットは、それを所蔵する文書館または版としてカードに記してある。画像を選ぶと原寸で開く。
05 出典
各カードからリンクしたレポートと、その作業ノート。ノートはリポジトリ に対象ごとに1フォルダずつある。
大半のレコードが収められている DECODE データベース (Megyesi et al.)、そして George Lasry、Satoshi Tomokiyo、Judit W. Somogyi、Aloys Meister が公表した鍵。
各レポートに挙げた印刷版。その中には Rommel 1840/1846、Mémoires de Catinat (1819)、Barwick の伝記 (1721/1724)がある。