日本語訳 · 原著 Daniel Bourdeau『Unsolved Historical Ciphers』は CC BY 4.0 で公開されている。本ページは JIC による翻訳で、原著者の公式版ではない。訳文に相違がある場合は英語原文が優先する · 英語原文を見る ↗
δ8cʒ2ΛʒxʒwΛ xvxΛ · Protestatus abbas
w3vX · ewr F.G. · 48 = -en · ↓ = r · ω = e

ブダ、クラクフ、ローマ、プレスブルク → バイエルン公たち · 少なくとも6つの方式による14の暗号文 · 1529–1583年

バイエルンの鍵の巻:Kurbayern Äußeres Archiv 4591 にある14の暗号文

BayHStA Munich, Kurbayern Äußeres Archiv 4591 · DECODE R9291–R9427 · 目録項目161「unknown sender to unknown recipient」

少なくとも6つの方式による別々の手紙で、DECODE はこれを一つのグループとして目録化していた。3通は完全に解読された。1通は同じ巻に綴じられた鍵で、2通は行間の注記から復元した鍵による。1葉は当時すでに解読されていた。8通は部分的に解読された。鍵は同時代の注記から復元したもの、巻内の鍵登録簿から取ったもの、1件については暗号文のみから復元したものである。1通は行き詰まり、1通は試みたが未解決、1件は手紙ではなく鍵の断片である。この巻の校訂版は見つからなかった。

Daniel Bourdeau · 投稿 · 更新

手法 · 注記のある方式(A'、B)と R9325:隣接平文から鍵を復元(部分) · R9416 pp. 3-4(f. 263):暗号文のみから鍵を復元(部分)

要約。 KAA 4591 はバイエルン公国官房の暗号鍵の巻で、1520年代から1620年までのおよそ100枚の鍵の紙葉と、その間に綴じ込まれた14の暗号文を収める。DECODE はこの14件を一つの「unknown sender」グループとして目録化していた。実際には、少なくとも6つの方式による別々の手紙である。フルダに関する覚書(R9325、1576年)は、5葉前に綴じられた鍵(R9324)で完全に解読される。Hieronymus Łaski とハンガリー王サポヤイ・ヤーノシュの3通の手紙(R9322、R9323、R9417、1529–30年)は、行間の注記から復元した鍵によって完全に、またはほぼ完全に解読される。ある家臣の請願(R9416 f. 262)は当時すでに解読されていた。ハンガリー、トルコ人、Rincon、フランスに関する1534–35年のドイツ語の報告7通は部分的に解読されている。そのうち1通(R9416 f. 263)の鍵は、新たに作った16世紀ドイツ語の言語モデルを用いて暗号文のみから復元した。5通(R9408、R9409、R9410、R9413、R9427)の鍵は R9427 にある薄い同時代の注記1つから得たもので、1通(R9367)は巻自体の鍵登録簿にある鍵で解読した。1583年の点の格子(R9319)は、それが重ねられる送り状を DECODE が撮影していないために行き詰まっている。R9424(1583年)は試みたが未解決で、R9291 は鍵の断片である。この巻の校訂版は見つからなかった。範囲:部分。作業用の解読文は欠落を含む機械出力であり、その旨を明示している。8件の部分解読のうち、まだきれいなテキストになったものはない。

01 14の記録

記録丁内容鍵状態
R9325129フルダ事件に関するラテン語の覚書、1576年R9324, f. 124–127読解
R9322121–122Łaski、ブダ、1529年11月24日。ヤーノシュ王からルートヴィヒ公へ注記から再構成読解
R9417264Łaski、クラクフ、[1530年]6月16日同上読解
R9323123Łaski から公たちの秘書へ同上薄い4行を除き読解
R9416262家臣から主君の公へ、「eritags nach Jacobi」行間の解読当時解読済み
R9416263プレスブルク交渉、1533–34年頃暗号文のみからの解読部分的に読解
R9408236–239ハンガリーとトルコに関する1534年の報告R9427 の注記による鍵部分的に読解
R9409240–243条項と回答を含む情報報告R9427 の注記による鍵部分的に読解
R9410244–2471535年の報告、フランスと帝国R9427 の注記による鍵部分的に読解
R9413252–2563通の手紙、1534年6–7月(Rincon、コンスタンティノープル)注記の鍵を再調整部分的に読解
R94272871534年4月24–25日のニュースレターそれ自身の注記部分的に読解
R9367169息子から父へ、1535年3月22日登録簿 R9423、ブロック 2_4部分的に読解
R9424274–277ヴィルヘルム5世公へ、1583年6月12日、ケルン戦争見つからず試行済み・未決
R931996–114平文の送り状に重ねる点の格子、1583年送り状行き詰まり
R929136暗号記号の細片—鍵の断片、手紙ではない

02 フルダの抗議、1576年(R9325)

5葉前の鍵の紙葉(R9324)には、覚書と同じ6つの冗字(ヌル)記号があり、それによって両者が結びつけられた。これは重複文字を含む文字アルファベットと、フルダ事件のノーメンクレーターからなる。教皇、教皇大使、フルダの修道院長・参事会・首席司祭、ヴュルツブルク司教、皇帝の顧問官、バイエルン公である。すべての記号が解ける:

Protestatus [est] abbas secreto coactum [se] ad litem acceptare Pontificis inhibitionem. Rogatus Pontifex ut contradicendo se interponat, declaret sive sponte sive vi contra canones esse. Si id fiat, Abbas agere cessat et cum Pontifice litigabit; … Consiliarii Caesaris iudicabunt, aut Pontifex tum facit quod iam voluit. Rogatus Dux Bavariae auxilio sit; Nuncius suadeat Pontifici ita ad protectionem via[m].

これは廃された修道院長 Balthasar von Dernbach の件である。彼は教皇の差し止め命令を受け入れるよう強いられたと抗議し、教皇の宣言、公の援助、教皇大使のとりなしを求めている。

03 Hieronymus Łaski とヤーノシュ王、1529–30年(R9322、R9323、R9417)

3つの語記号をもつ図形式の単一換字暗号である。いくつかの行の上にある行間の注記から153組の語の対応が得られ、そこから得た鍵で注記のない行も解読できる。語記号は文脈から決まる。スルタンは「[†] を彼の兄弟の場所以外のどこにも置かない」(ヤーノシュ王)、「[†] と [X] の間の和解」(フェルディナント)。

04 1534–35年のドイツ語報告

R9416. 262葉には、すべての行の上に同時代のドイツ語による解読がある。ある家臣が公に、7年分の未払いの年金と、シュトラウビングの Oberrichter の職を求めている。263葉には最初の12行にだけ薄い注記がある。その鍵は、ソルバー(焼きなまし法)によって暗号文のみから復元した。照合に用いたのは、Deutsches Textarchiv の1472–1609年のドイツ語刊本からこの対象のために構築した言語モデルである。それらの行の薄い注記は、ソルバーの出力と一語一語一致する:「…von beden kunigen zu entlicher handlung gen Pressburg gesetzt…」。内容は、フェルディナントとヤーノシュの間のプレスブルク交渉、トルコの使節団、貢納を申し出る Imre Czibak、そして「den hern Griti abgefertigt」(Alvise Gritti、1534年9月殺害)を報じている。記号が1つ、まだ手で設定しなければならない。ソルバーが s とするところで、意味の上からは ch が必要である。

その後、表面の11–16行目を画像から一語ずつ解読した(2026年9月30日。 r9416/reading_p3_11-16.txt)。最初の転写で1つの e として書いた記号は、実は2つの形である。横棒1本のジグザグが e、横棒2本の短剣形が s である。この区別をすると、その箇所は正規化した綴りで次のように読める:

… daraus der Tag zu Pressburg erfolgt ist, dahin auch des [Ferd.] Tail mit grossem Pomp kummen sint, auch volmechtigen Gwalt anzaigt, und sich zu beden Tailn entliche Vertrage versehen. Es hat sich aber zutragen, das am Ertag in der Fasnacht von dem turkischen Kaiser ain treffliche Botschaft ankummen …

(「……そこからプレスブルクでの会議が開かれ、[フェルディナント] 側も大いに威儀を正してそこへ来て、全権を示し、双方とも最終的な条約を見込んでいた。ところが告解火曜日に、トルコ皇帝から立派な使節団が到着した……」)11–12行目の上の薄い同時代の注記もこれと一致する:「das aus den tag zu bresburg erfolgt ist dahin auch / des Ferd tail … mit grossem bumbb kummen sint auch」。[Ferd.] はコード記号で、その注記によってのみ同定される(評価 C、注記は薄い)。「Tail」の後の3つの記号は注記が飛ばしており、訳出していない。この葉の残りには、まだこの作業を施していない。

方式 A′。 R9408、R9409、R9410、R9413、R9427 は一つの記号体系を共有している。R9427 には10行にわたって薄い注記がある。記号ごとに対応させると、最も多い符号群 w3vX が「ewr F.G.」(X は Fürstliche Gnaden を表すコード記号)であることがわかり、同音異字(ホモフォニック)の鍵が得られる。4 と ω が e、□ と 8 が n(「48」= -en)、↓ が r、ÿ が t、5 が a、π が b/w、斜めの ‡ が g、直立した H が u/v、などである。その後、すべての転写を画像上で記号ごとに再確認し、統合されていた似た記号を分けた。デコーダーが鍵を適用し、曖昧な1つの記号について d か ch かを文脈から選ぶ。

R9367、息子から父への1535年3月22日の手紙は、R9423 のブロック 2_4(「H. Wilh.」)で解読される。R9423 は1520–30年代の鍵19件を書き写した官房の登録簿である。暗号化された箇所によれば、彼は尋問を受けてすべてを否認し、身の安全を案じ、トルコ人が進軍してくることを報じている。追伸には Friedrich という人物と「Schmalcz」の名が出てくる。3つの記号は冗字(ヌル)である。1つの記号と6行が未解決のまま残る。

05 未解決のまま残るもの

06 出典

Bayerisches Hauptstaatsarchiv, Kurbayern Äußeres Archiv 4591、DECODE データベース経由(記録 R9277–R9428、要ログイン)。画像はパブリックドメインではないため掲載していない。使用した鍵:R9324(f. 124–127)、R9423(f. 272–273)、R9322、R9417、R9416、R9427 の行間の注記。言語モデル:Deutsches Textarchiv の1472–1609年の刊本(lang/ モデル de-1500s).

転写、鍵、デコーダー、作業用の解読文はリポジトリのフォルダにある targets/kaa4591/.