01 3つのレコード
| 記録 | 丁 | 日付 | 誰から誰へ | 方式 | 読解 |
|---|---|---|---|---|---|
| R9403 | 226–228 | Łask、1531年9月17日 | Hieronymus Łaski から公たちの顧問官へ(おそらく Leonhard von Eck。推定) | Łaski の方式 B、e/r 入れ替え。語記号 DAG = ヤーノシュ王 | 416語中414語(99.5%) |
| R9415 | 260–261 | 1533年4月18日 | ヤーノシュ王の側から「illustrissimi principes … fratres」へ。宛名は Aurelio Augurelio | 同音異字「L」、ラテン語 | 386/405 (95.3%) |
| R9414 | 257–259 | Wardein、1537年3月14日 | 名前不明のバイエルン人家臣からバイエルン公ルートヴィヒへ | 同音異字「G」、ドイツ語 | 947/1037 (91.3%) |
百分率は暗号化された部分のすべての語を数えたもので、平文の箇所は数えていない。R9414 と R9415 では、疑わしい語は未解決として数えている。
02 Łaski、1531年9月17日(R9403)
Łaski の図形暗号(方式 B)は、同じ巻の注記付きの手紙 R9322 と R9417 から再構成した。この手紙では e と r の記号が逆になっており(星付きの x = e、ただの x = r)、いくつかの形も異なる。3回現れる記号 DAG はヤーノシュ王を表す。裏書きには「anno 32」とあるが、本文の日付は1531年である。
… cum hac hieme Turca oratoribus regis Ferdinandi hoc dederit responsum: Item ad dominum uestrum dicite illi nunquam ipsum amiciciam nostram, numquam pacem uel inducias consequuturum nisi cedat regno Hungarie amico nostro Ioanni regi serenissimo; quod nisi fecerit, ueniam ad querendum eum …
Ruffus が15日に公たちの手紙を届け、Łaski はそれに謝意を述べている。スルタンはこの冬、フェルディナントの使節たちに、ハンガリーがヤーノシュ王に明け渡されないかぎり、友好も和平も休戦もないと告げた。船、大砲、穀物がドナウ川へ運ばれ、兵が徴募されている。シュパイアーの帝国議会は短いだろう。Łaski は病気だが早馬で駆けつけるつもりであり、公たちとその友人たちは、彼が到着するまで王に不利な決定を阻止すべきである。結婚についてはまだ書けない。10日以内にポーランド王と話をまとめるつもりである。「ポーランド人の間では、フランス人の間と同じく、王女の持参金は法で定められているからである」。追伸:顧問官は王の手紙を帝国諸身分に提出すべきである。
03 ヤーノシュ王の側から公たちへ、1533年4月18日(R9415)
記号は、1534–35年の報告で公たちの代理人が用いた方式 A′ の記号群に似ているが、A′ の鍵は合わず、Augurelio 自身の1531年の鍵 R9369 も合わない。3行目の一部の上にある注記(「incrementum」)から最初の値が得られ、ラテン語の言語モデルを用いたソルバー(焼きなまし法)と候補値の探索によって残りが得られた。平文の箇所の後にある6つの記号は、つなぎ目を示す冗字(ヌル)である。
… hostis noster una parte tractatum cum […] nobiscum inceperit, ex alia parte Turcarum Caesari pro pace clam supplicaverit, credimus D. vestras illud iam compertum habere.
公たちの家臣 Georgius が、プレスブルクの会議で和解を促す公たちの3つの理由を携えて戻ってきた。「われらの敵」フェルディナントは、ヤーノシュ王と条約交渉を始める一方で、ひそかにスルタンに和平を請うていた。スルタン自身の手紙によってそれが明らかになったので、ヤーノシュは使節を呼び戻し、スルタンの求めに応じて総督をスルタンのもとへ送った。フェルディナントは和平を誇っているがその条件を知らず、公たちはその噂を信じるべきではない。ウィーンにいるトルコの使節は、トルコにいるフェルディナントの使節を「自分の」使節にしてしまった。4ページ目の平文の宛名は Aurelio Augurelio である。
04 Wardein からルートヴィヒ公へ、1537年3月14日(R9414)
冒頭、日付(「Datum Wardein … den vierzehenden tag Marcii anno siben und dreissigisten」)、宛名(「Herzogen Ludwigen in Bayrn」)は平文である。6–8行目の上の注記から新しい同音異字アルファベットの最初の値が得られた。ソルバー(焼きなまし法)と、16世紀ドイツ語の言語モデルを用いた候補値の探索、全行についての画像との3回の照合、そして1文字違いの辞書語の探索によって、91.3%まで達した。
… dan der turkisch kaiser irn herrn befolhen hab das si in aller eil, ieder mit […] pferden gerust sein …
筆者は、ハンガリーへ戻る旅とハンガリーの情勢を述べている。ベオグラードとボスニアのパシャたちの使節、トルコ皇帝が彼らに準備を命じ、ハンガリーを手に入れてからオーストリアに矛先を向けるために10万の兵を武装させていること、フェルディナント側が町や村を奪っていること。ヴィルヘルム公が一度も手紙をくれないので、彼はルートヴィヒにとりなしを頼み、二人の父に仕えたことを持ち出している。借金と休暇のこと、鉱山と鉱石の見本のこと、運び手としてクラクフの Hans Schwab のことを書いている。追伸:「der herr Camermaister hat mein ziffer」。
05 未解決のまま残るもの
- R9414:約10語は鍵のない語記号である(Ψ は P2 の2、8、9、27行目、飾り付きの X は P2.15、P2.25、P4.2、P4.21、K は P4.33 で、おそらく「王」)。約15語はにじみや抹消で読めない。約65語は判読できるが確定していない。いくつかの同音字にまだ複数の値が残っているためである。
- R9415:未解決または疑わしい語が19語、散在している(一覧は
r9415/count.txt). - R9403:f.228 の2語(「[?]orator」、「[?]meus」)と、P1 l.4 の小さな挿入。さらに10語は解読されているが疑わしい(ergo, Ruffus, sequentes, contra, postas, constituar, nam, ubi, dotandis, meus)。転写は解読に合わせて整列させてあるため、記号の異形は記録していない。
- R9403 の受取人は名前が記されておらず、推定である。
06 出典
- Bayerisches Hauptstaatsarchiv, Kurbayern Äußeres Archiv 4591、DECODE の記録 R9403、R9414、R9415 経由(要ログイン。公開には文書館の許可が必要)。
- Łaski の鍵:このプロジェクトで R9322 と R9417 から再構成した(バイエルンの鍵の巻)。
- 刊本:ウェブ検索(2026年9月22日)では校訂版は見つからなかった。Acta Tomiciana 第8巻(1530–32年)はページごとには調べていない。
転写、鍵、ソルバー、解読文はリポジトリのフォルダにある targets/kaa4591b/.

